Vietnamびじねすりぽーと

ベトナムで生活する若者が綴る、安定的に肉を手に入れるまで。

【読書感想文】封印再度 森博嗣

現在、ドラマ「すべてがFになる」が絶賛放映中ということで読みました、森博嗣の「封印再度」。

ドラマはナレーションが場違いだったり、犀川が分身したりと笑いどころ盛りだくさんですね。

ネタバレ感想文でございます。

ドラマ版ではなく小説の。

 

封印再度 (講談社ノベルス)

封印再度 (講談社ノベルス)

 

 

封印再度とWho Insideのダブルミーニング、一部では日本ミステリ史上最高のタイトルとまで呼ばれるこの作品ですが、謎解きはスパイスみたいなもので、基本的には犀川と萌絵のイチャイチャストーリーです。

 

ゆったらホワイダニット物ですね。

なぜ国枝は「ごちそうさま」なんていうメールを送ってきたかっていう。

なぜ萌絵はウソをついたのかっていう。

 

そういった観点で言いますと、本来は読者誘導に定評のある森博嗣ですが、今作では詰めの甘さというか、上手くミスリードできていないように感じました。

 

ことの顛末はこうです。

クリスマスに萌絵が犀川の家に行く

⇒犀川の帰宅が遅れ、萌絵が激怒する

⇒犀川宛てに電話がかかってくるが、萌絵が切る

⇒数日後、国枝から萌絵宛てに「ごちそうさま」のメールが来る

⇒時間が飛んで3月末の飲み会で、萌絵が気を失い入院する

⇒3月31日深夜、大阪出張中の犀川のホテルの部屋に萌絵の執事から電話があり、萌絵が「血の病気」だと告げる

⇒4月2日、犀川が出張から戻り、事件解決に動き出し、萌絵に婚姻届を渡すが、「血の病気」はエイプリルフールのウソだと告白され、犀川激怒。

⇒色々あってラストに「ごちそうさま」メールの真意が明かされる。

ちゃんちゃん

ですね。

 

さて、萌絵がエイプリルフールに「血の病気」というウソをついた(執事につかせた)のは、「クリスマスのとき、酷かったから」です。萌絵がそう言ってます。

じゃあクリスマスに犀川の何が酷かったのかってなりますけど、私も含めた読者の大半は、約束の時間に遅れたことだと思ったはずです。

でも、違うんだって最後になってわかります。

国枝助手が萌絵に送ったメール「ごちそうさま」の真意を萌絵がただした際、国枝はあの日電話をしたのは自分で、犀川の部屋に萌絵が泊まったからだと答えます。

尚この際、萌絵はクリスマスの電話が誰からか知りませんでしたが、国枝は「萌絵は把握している」と思っていました。

そしてラストは「萌絵が起きたら犀川先生のベッドだった。でも犀川先生はソファーに寝てた」という事実が明かされ、完、です。

つまり国枝桃子のメールは

(ついに結ばれておめでとう、私もタイミング悪く電話してごめんね。その想像をしただけでお腹いっぱいだよ)ごちそうさま

って意味で送ったということです。

言葉で伝えるならいざ知らず、メールで。

下品すぎるだろ。

 

しかし真相は、二人の間には何もなかった、と。

 

ここまで来て、クリスマスのとき犀川の何が「酷かった」かというのがわかります。

またもや犀川が工期を遅らせ、萌絵の望んでいたアースアンカー工法が施工されなかったため「酷かった」と。

朝起きて、ピロティィィィイイイイってなったと。

そういうことですね。

あぁなんて下世話なレビューだろうか。

まぁ勝手に寝てしまった萌絵が悪いと思うのですが、彼女とすれば「せっかくネギしょって据え膳としてきたのに何よ」というところでしょう。

それで復讐、というか愛情の確認、喪失した女性としてのプライドの回復を目的としてエイプリルフールのウソのくだりになるんですね。

なるほどねぇ。

 

はい。

・・・おかしくない?

この思考の順序。

ミステリーのそれじゃないですよね。

 

ふつうの読者心理を考えれば、

・クリスマスに犀川と萌絵が結ばれてドキドキ

・ごちそうさまメールに首をかしげる

・「血の病気」で焦る

・犀川の愛情、責任感からくる行動にうなずく

・ウソのネタ晴らしで犀川に共感し萌絵にキレる

・ごちそうさまのネタ晴らしで萌絵に共感し犀川にキレる

ってのが、狙いだったんではないかなと。

 

そういう流れであれば、婚姻届の唐突さや、突然のキスの表現が異様に軽かったことも説明がつくんですよね。

だって前提がおかしいじゃん、「ご褒美かしら」って。

 

そんで「犀川先生はソファーで」ってラストの一言で、

それがまるで「ヴァンダインです」ぐらいの勢いを持って読者を驚天動地の瓢にするはずだったんじゃないかと。

「やってへんのかい!!!そら酷いわ!!」ってね。

熱を持つたび何度でも

これがほんとの封印再

 しかし現実は「ははは、だろーね」って感じで。

 

長々と下世話なことを書いてますが、何が言いたいかっていうと、クリスマスのやり取りにおける読者誘導が足りてなかったんじゃないかってことですよ。

あそこでトゥギャザーしたんだなぁ良かったねぇホクホクみたいに読んでなかったんですよ。少なくとも私は。

 

最初っからそういう男女の仲になりました的な誘導をする気はなかった可能性はありますが、それだとクリスマスの夜、萌絵が一度寝て起きるという流れにする必然性がないんです。

寝て起きた以上、ミスリードする気はあったはずです。

 

なぜこんなことになってしまったのでしょうか。

私の認識に何が足りなかったんでしょうか。

 

まず一つは作者が下世話な表現を使いたくなかった、ということは間違いないでしょう。

トラディショナルなヤっていくスタイルの少女漫画(まゆてんてーとかNANAとか)では、トイレで覚悟を決めてドキドキとか、翌日内股になっちゃうとか、ポシェットの中に必要なものが揃っているか確認するとか記号的表現がありますが、そんなこと森博嗣はやりたくないでしょう。

私は心底やってほしくない。

だから当然わかりづらい。

 

もう一点は作者と読者の犀川イメージの齟齬ですね。 

おそらく一般的な犀川先生のイメージは、身持ちが固いというか、本田透の言葉でいう「喪男」、「モテの魔の手からの護身を極めている(いなかったけど)」の男ですので、そんなやすやすと誘いに乗ったりしないと読者は思っています。

なぜならば彼は、非現実で類型的な天才キャラだから。

しかし作者の中ではもっと人間的な欲求に忠実な造形なんじゃないでしょうか。

ポアロやホームズっていうよりもマーロウ的な。

 

クリスマスの夜を通して、萌絵は押せ押せのセリフが多かったです。

 怒りながら「ずぅーと待っている間に私が何を考えたとおもいます?」

外を見て「雪がどんどん積もらないかなぁ」

 「赤ちゃんができたらどうする?」←実はクロスワードの問題

犀川にもう帰りなと言われて「まさか・・・本気でおっしゃってるの?論理的ではありませんけど、今夜はクリスマスイヴなんですからね」

などなど、非常にノリノリでした。

 

しかし一方の犀川の心情としては、

これ以上彼女の話に逆らわないことだ、と犀川は心の準備をする

という地の文くらいで、あとは楽しかったからクリスマスも悪くないだの小5のときのほうが大人っぽかっただの考えてます。

これじゃあ脳細胞が灰色からピンクに変化する予感は察することはできません。

 

とにかく、私にとってそのミスリードミスが、この作品を楽しみきる上での大きな障壁だったわけです。障壁のヘキはカベ!!

まぁどうでもいいですけどね!

 

もう一つどうでもいいんですけど、犀川先生って名探偵コナンの単行本の名探偵図鑑に登場していないんですよね。

あと驚くべきことに鮎川哲也の星影龍三も。

折木奉太郎(from氷菓)ですら出てるのに。

青山剛昌は川とか三が嫌いなんですかね。