Vietnamびじねすりぽーと

ベトナムで生活する若者が綴る、安定的に肉を手に入れるまで。

【ゲーム感想文】FINAL FANTASY Ⅸ

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子どもの頃からRPGのファイナルファンタジーシリーズが好きで、4以降ナンバリングタイトルはほぼプレイしました。

 ネトゲの二つ(11と14)以外かな。

よく一番好きなタイトルはって話がありますが、私の考えだと、基本的に一番初めにやったタイトルになるかと思います。

 6から入った人は6、8から入った人は8みたいな。

 だから同世代は7と8が多いです。次いで6と10ですかね。

 

おや?

9は?

 

この手の話になると9が一番賛否両論でございます。アンチの多さでは8がぶっちぎりですが。

 かくいう私は9はとても面白かったと記憶しております。

 否定的な意見の理由は多々あれど、一つには特筆すべき「個性」が無いことが挙げられるでしょう。

 

画期的なジョブシステムを採用した5。

多くのキャラクターを描いた6。

初の3D作品である7。

PS2一作目にして過去作から一気に変化した10。

 

これらの周辺作品の特色と比較すると、9のそれは、戦闘、ストーリー、ミニゲーム等々 、RPG一般の歴史、及びFFの過去作の「スタンダード」を踏襲しているように見えるからです。

 また、キャラ人気の点でも他作の後塵を拝しております。

チビな主人公、ジタン。

過去作と造形が被るヒロイン、ダガー。

不細工な他キャラ。

かっこいいけど「敵ボスを味方にすると弱体化する法則」の代名詞、ベアトリクス。

彼らの人気は、クラウドやバルフレア、パンネロさんには遠く及びません。

 

「ストーリーもシステムもキャラも平凡な凡作」

なるほどこれらの批判は一理あると思います。


しかし、私はあえて反論を唱えたいです。 

批判者にバニッシュをかけた上でデスを唱えたいです。 

それには下記の理由があります。

 

① 9の個性

まず第一に「9には本当に個性が無いのか」という問題です。

 ご存知の通りFFシリーズは6作目までが2Dでそれ以降が3Dと区分できますし、一般的なRPGも2D時代/3D以降という時代区分を持っています。

更に付け加えると、RPGというジャンルは「2D時代が全盛期」という論調も一般的です。

つまり3D以降の作品は邪道であり、それしかプレイしたことのない方は実質的にRPGをプレイしていない、云わば「ニワカ」として扱われてしまうのです。

これは困った。

9販売当時既にその風潮があり(8のせいですが)、スタンダードなRPGと言えば全て2D時代にまで遡ると考えられていました。

 

具体的に作品名を挙げるのであれば 、

FF5、DQ5、クロノトリガー、デビルサマナーなどでしょう。

 

一方3D以降の作品はそれまでの作品と流れを異にする個性的なものが多くなりました。 

具体的に作品名を挙げるのであれば 
テイルズ、グランディア、デビルサマナーなどでしょう。

 

つまり3D以降の時代区分において、心置きなく「RPGをやりました」「RPGが好きです!」といえるような作品はほぼありませんでした。

 

ファイナルファンタジー7から参入した組が大半の同世代にとって、これは由々しき問題です。

だってRPGをやってるつもりでも、やってないんですから。

ではどうするか。

昔の作品を買ってやりますか?

いやいや、最新作がどんどん出ていた当時、

そんな過去作に裂く時間はございません。

 

そんなときに登場したのが、「The RPG」ファイナルファンタジー9でした。

FFというビッグネームがこれ以上無いほどのスタンダードな作品を緻密に作り上げた、ということこそ衝撃的であり、それにより多くの7以降世代がRPGのスタンダードを学ぶことができました。 

 

②キャラクターについて

もう一点、キャラクターの愛され度が低い点についてですが 、ここでは現代オタク文化に詳しい思想家の東浩紀の論を引きます。 

 

東が言うには、オタクが消費している二次創作などは原作のコピーやパクリなどではなく、原作が示す世界観に忠実に再現されたもの(シュミュラークル)です。

このシュミュラークルはキャラクターや世界観次元において原作と同等の価値があり、さらにそこにあるキャラクターは、分解していけば萌え要素にまで還元できる、とのことです。 


エヴァを例にとるのであれば、

一、エヴァの世界観を楽しみつつ

二、綾波レイがあんなことこんなことをしている二次創作を楽しんでいる、 

三、と見せかけて本質的に消費しているのは「青い髪」「無口」「神秘性」というデータベース化された萌え要素である、ということでしょう。 


東はさらに、このような消費システムはポストモダンである現代に一般化できると仰っております。 


このような視点でFF9のキャラクターを見てみましょう。 


なるほどヒロインのダガーは

「美少女」「頑張り屋」「王女」「黒くて長い髪」などなど

類型化された萌え要素に忠実に出来ております。 

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しかし一方の主人公ジダンは

「金髪(?)」「お調子者(?)」「猫目(?)」などお世辞にも主人公の条件を満たしていません。

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「熱血漢」でも「クール」でもなければ、そもそも「イケメン」でもないです。

 
エーコも「青い髪」「ロリっ子」「変な生き物と意思疎通できる」「っていうかまずリボン」「一途ツンデレ」などなど萌え要素に事欠きませんが、

「猫目(?)」の一要素で全てぶっ壊しております。 

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エーコかわいくない。目がかわいくない。 

 

他のキャラクターも役回りを考えると「いわゆる」データベースを裏切る要素が多いように思えます。

こうしてみるとデータベース消費システムに従順なガーネットのキャラも最早皮肉にしか見えなくなってきます。 

何にせよFF9のキャラは現代の消費システムを意図的と言えるほどの精度で裏切っていると言えるでしょう。 

 

③ それらの相乗効果

 

過度にスタンダードを踏襲したシステムやストーリー。

意図的にデータベースを外れたキャラクター造形。

 

これらは当時の「映画的」「革新的」へと向かうゲーム業界において、

ゲームと映画、革新と伝統の「絶妙な関係」への挑戦だったのではないでしょうか。

 

 そういった視点で考えたときに、同様のチャレンジをしたアニメを思い出します。

2011年に放映された「魔法少女まどかマギカ」です。

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かのアニメはデータベースに従順なキャラクターやその配置を逆手に取り、ストーリーの舵を鬱方向へ急激に切ることで「絶妙な関係」を生み出し、一気に時代の寵児へ躍り出ました。

 

それらはゼロ年代的な消費システム思考に則った作品構成であり、9が目指した場所も、その地平にあるのではないでしょうか。

 

この作品を凡作だと見なして来た方には、これらのことを考えた上で是非今一度プレイしてもらいたいと思います。 


そうすればきっと、こう思うはずです。

「うわぁ、昔の3Dって画質悪いなぁ」って。

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