Vietnamびじねすりぽーと

ベトナムで生活する若者が綴る、安定的に肉を手に入れるまで。

私が病院に行かない理由

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まさか2日連続で骨の画像をあげることになるとは!

 

 

痛い。

身体が痛い。

 

脇腹の肋骨付近と肩甲骨付近が痛い。

動かずにいれば大したことはないが、

ちょっとした動きでも運が悪ければズキリと痛む。

 

原因は先週末のちょっとした運動中の事故で、

そのときは脇腹だけの痛みだった。

安静にしていれば治るだろうと思い放置していたが、

遂にいたみが背中まで浸食してきた。

 

寝返りや身体を起こすといった日常基本動作にも多少、支障をきたしている。

よって、妻には病院に行くように命じられている。

(ことあるごとにイタイイタイアピールをする私が鬱陶しいようだ)

 

しかし私は病院に行きたくない。

 

なぜか。

 

私は別段病院が嫌いではない。

 

以前は注射などが恐ろしかった。

学生の時分など、予防接種前に恐怖と緊張で体温が37度を越え注射が打てなくなるという、

かなり独自の自己防衛機能を構築していた。

 

しかし海外転勤の際に続けざまに注射をうたれ、

(多い日は一日4本!)

病気と注射双方にある程度免疫がつくに至った。

 

よって病院そのものはチャンチャラ平気である。

 

私が嫌なのは、

もし、骨折していたら嫌だ、

という理由だからだ。

 

 

もちろん骨折「する」ことは誰であれ嫌だろうが、

既に怪我はしている。

大したことはないが痛みもある。

そこで骨折しているという「診断」を受けたところで、

何一つ怪我が変わることはない。

箇所と症状を鑑みれば、どのみち安静にする以外の方法はない。

 

しかし私は、その「骨折」という事実を眼前に突きつけられることが恐ろしい。

なぜならばその事実は、私のアイデンティティをも崩壊させかねないからだ。

 

私の誇りの一つに、大した怪我をしたことがない、というものがある。

何故だかわからないが、物心がついたときには既にそのような考えをもっていた。

 

自分は、

骨折したことも、

入院したことも、

大病を患ったことも、

蜂に刺されたことすらない、

というアイデンティティだ。

 

幼稚園年長までは、このリストに

鼻血を出したことがない、

という項目が存在していた。

 

しかし5歳の夏に運動中の事故で人の頭が顔に当たり、

(彼のでんぐりがえりは直進しない傾向にあった)

鼻から流血するという憂き目にあった。

 

その帰り道、鼻にティッシュを詰めたままハイエースで家まで送ってもらったが、

その車中でセンターコンソールの小物入れに置いてあるガムを見つめながら、

涙をこらえていたことを覚えている。

 

鼻が痛かったからではない。

自分が「鼻血を出したことがある」人間になってしまったことが悔しかった。

 

鼻血は止まるが、事実は消えない。

鼻血を出したことが無い、というステータスは、

もう一生戻らない。

それが悔しかった。

 

なぜそのような信条を持つに至ったかは自分でもわからない。

元来目立ちたがりのたちで、

どちらかというと怪我や病気をしてアピールするタイプの人間なはずだ。

特に幼少期というものは、その手の自己顕示が強いものである。

しかしながら、私は健康であることを選んだ。

 

これはおそらくだが、

当時の学友に運動中の事故で大きな怪我をしたものがあったのではないか。

彼はきっとクラスのヒーローになっただろう。

皆に心配され、度々怪我の進捗や当時の状況を尋ねられる彼を見て、

私は深く妬んだにちがいない。

 

それで私は逆を突いた。

健康であることをアイデンティティとして形成したのだ。

健康体のクラスのヒーローとして君臨しようと考えたのだ。

 

逆を突く。

これも自己を省みる際に良く見られる傾向だ。

先に自分は元来目立ちたがりと書いたが、

これはいわば天邪鬼的な振る舞いとして現出する傾向が多いように思える。

 

皆が白と言えば黒、黒と言えば白。

 

好きな食べ物こそカレーだが、

人と違えばそれで良いという悪目立ち癖は当時からあったのだろう。

 

それから20数年の時が流れて、今である。

 

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、

あの日ハイエースの中で感じた悔しさを、

今日も私は感じている。

 

いや、あの時よりも感情の昂ぶりは大きいかもしれない。

何せ経た時間が違う。

5年かそこらと30年弱の歴史では重みが違う。

 

もし骨折という診断を下されたら、

自分のこれまでの誇りは何だったというのだろう。

 

それが空恐ろしく、私は病院に行く足がすくみ、

今日もまた、妻に痛い痛いと嘆いている。